LEGENDARY ATHLETE
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講師紹介&エールムービー

  • 野村 忠宏さんからのエール

    執念

    野村 忠宏 TADAHIRO NOMURA

    柔道

    柔道家。1974年奈良県生まれ。祖父は柔道場「豊徳館」館長、父は天理高校柔道部元監督という柔道一家に育つ。アトランタ、シドニー、アテネオリンピックで柔道史上初、また全競技を通じてアジア人初となるオリンピック三連覇を達成する。その後、たび重なる怪我と闘いながらも、さらなる高みを目指して現役を続行。2015年8月29日、全日本実業柔道個人選手権大会を最後に、40歳で現役を引退。2015年9月に著書「戦う理由」を出版。ミキハウス所属。

    野村 忠宏さんからのエール

    執念

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  • 杉本 美香さんからのエール

    笑顔

    杉本 美香 MIKA SUGIMOTO

    柔道

    現役時代は度重なる大怪我に悩まされたが、その試練に打ち勝ち2010 年の東京世界選手権で二階級制覇を果たす。これは日本人女子では初、世界でも3 人目の快挙。2012 年にはロンドン五輪に出場し銀メダルを獲得。柔道界では、持ち前のリーダーシップと明るい性格で先輩、後輩から慕われている。現役を引退後、テレビ・イベントへの出演や全国各地で柔道教室を行い普及活動にも取り組んでいる。

    杉本 美香さんからのエール

    笑顔

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  • 山本 昌邦さんからのエール

    志は高く身は低く

    山本 昌邦 MASAKUNI YAMAMOTO

    男子サッカー

    現役時代にはディフェンダーとして、ユース代表、ユニバーシアード代表、日本代表とそれぞれの世代で、日本代表選手として活躍。また、ヤマハ発動機サッカー部では、二部リーグ優勝、天皇杯優勝を一度ずつ経験。1987年に現役引退。その後、指導者としての道を歩み、ジュビロ磐田での監督・コーチ、日本代表コーチとして、フィリップ・トルシエ氏やジーコ氏を支え、2004年アテネオリンピックでは日本代表監督を務めた。

    山本 昌邦さんからのエール

    志は高く身は低く

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  • 木村 浩吉さんからのエール

    初志貫徹

    木村 浩吉 KOKICHI KIMURA

    男子サッカー

    高校、大学ではサッカー部には属さず、三菱養和サッカースクールでサッカーを学んだ。
    大学3年の時に西ドイツへ渡りクラブの練習に参加するなど海外サッカーへのチャレンジを積極的に行った。大学卒業後に日産自動車サッカー部(現 横浜マリノス)に所属し、2年連続3冠(リーグ戦、天皇杯、JSLカップ)達成に貢献した。
    29歳で現役を引退し指導者の道へ進む。1993年から横浜マリノスのヘッドコーチ・強化部長を経て2008-2009年に横浜マリノス
    の監督を務める。その後JFAナショナルトレセンコーチを経て、2011-2014年ラオス代表監督就任2015年から日本代表世代別代表のダイレクターとして次の日本代表を育成する作業に従事、今に至る。

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  • ©馬場道浩

    北澤 豪さんからのエール

    出逢いに感謝!

    北澤 豪 TSUYOSHI KITAZAWA

    男子サッカー

    中学時代は読売サッカークラブ・ジュニアユースに所属。修徳高校卒業後、本田技研工業株式会社に入社。海外へのサッカー留学・日本代表初選出を経て、読売クラブ(現 東京ヴェルディ)で活躍(J1リーグ通算264試合)日本代表としても多数の国際試合で活躍した(日本代表国際Aマッチ 59試合)。03年現役を引退。
    現在は、日本テレビ系「NEWS ZERO」「シューイチ」にレギュラー出演中。 人気ゲームソフト、コナミ「ウィニングイレブン」シリーズの解説も務める。また、社会貢献活動にも積極的に取り組み、サッカーを通じて世界の子ども達を支援できる環境作りを目指している。
    (公財)日本サッカー協会理事、(公財)日本サッカー協会 フットサル・ビーチサッカー委員長、 (一社)日本障がい者サッカー連盟会長、JICAオフィシャルサポーターとしてのさらなる発展・普及に向けての活動を定期的に行っている

    北澤 豪さんからのエール

    出逢いに感謝!

  • 川口 能活さんからのエール

    苦は楽の種

    川口 能活 YOSHIKATSU KAWAGUCHI

    男子サッカー

    1975年、静岡県生まれ。SC相模原(J3 リーグ)所属。94年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入し、2年目にはJリーグ新人王のタイトルを獲得する。 以来、日本人GKとして初の欧州移籍を果たすなど、長年にわたって第一戦で活躍している。96年アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」、アジアカップ2004での連続PK ストップ、4度のW杯選出など、日本代表でも数々の実績を残した。

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    苦は楽の種

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  • ©J.LEAGUE

    稲本 潤一さんからのエール

    一歩踏み出す勇気

    稲本 潤一 JUNICHI INAMOTO

    男子サッカー

    早くから傑出した才能を示し、ガンバ大阪ユースで順調にステップアップを重ねたのち97年に当時史上最年少でJ1デビュー。99年には「黄金世代」と呼ばれたイレブンでワールドユース準優勝を果たして世界を驚かせ、その後の日本人による海外移籍の先鞭をつけた一人となった。アーセナル、フランクフルト、ガラタサライなど欧州の名門クラブを渡り歩き、UEFAチャンピオンズリーグでも得点を記録している。日本代表として日韓、ドイツ、南アフリカと三度のワールドカップに出場し、特に日韓大会ではベルギー戦の逆転ゴールとロシア戦の決勝点を挙げ、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。
    豊富な運動量と献身性に加え、中盤から独力で持ち上がりゴールを陥れる圧巻のプレーを代名詞とする日本サッカー界のレジェンド。

    稲本 潤一さんからのエール

    一歩踏み出す勇気

  • ©J.LEAGUE

    小野 伸二さんからのエール

    楽しむ

    小野 伸二 SHINJI ONO

    男子サッカー

    1979年9月27日 静岡県生まれ(38歳)北海道コンサドーレ札幌所属。
    1998年に清水商業高校から浦和レッズに入団。同年のフランスW杯に史上最年少で出場し、2002年・2006年とW杯3大会連続出場を果たす。
    オランダ・ドイツ・オーストラリアと海外でも活躍を重ねた日本の至宝。

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    楽しむ

  • 山本 隆弘さんからのエール

    志あるところに、道ありき

    山本 隆弘 TAKAHIRO YAMAMOTO

    男子バレー

    中学一年でバレーを始め、その後、バレーボールの名門鳥取商業高校へ進学。 一年からレギュラーに抜擢され、全国大会に出場。バレーボール全日本ジュニア代表や全日本ユース代表にも選出される。 その後、日本体育大学に進学し、全日本代表に選出され、2000年4月の日米対抗戦でエースとして日本デビューを果たす。 卒業後は松下電器産業株式会社に入社し、パナソニックパンサーズに所属する。 サウスポーから繰り出す強烈なスパイクを武器に、2003年のワールドカップでは、ベストスコアラーとMVPを獲得するなど日本のエースとして活躍する。 2004年日本人バレーボール選手としては初めてプロ契約を結び、プロバレーボール選手となる。 そして日本中の期待を背負って臨んだアテネオリンピック予選、惜しくも本大会への出場は逃してしまった。 その後、2年ほど日本代表から離れるが、2006年に代表復帰。 アテネの雪辱に燃える2008年の北京オリンピック。見事チームを本大会へと導いた。 2011年のロンドンオリンピック日本代表にもチームのまとめ役として日本代表に選出。2回連続のオリンピック出場を目指したが、予選敗退で本大会出場は叶わなかった。 2012/2013年シーズンをもって現役を引退。 バレーボールで培った経験を生かし、バレーボールの解説や普及活動、メディア出演等で活躍中。2014年、小学生バレーボール大会「T-FIVE CUP」を企画し開催。現在は関東、近畿、中国、四国、九州の5地区で開催。また、趣味でロードバイクに乗り始め、日本一大きなサイクリストとして、自転車のイベントなどにも積極的に参加し、地元鳥取での「GREAT EARTH鳥取すごい!ライド」では、自ら誘致に積極的に動き、2016年11月に開催した。

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    志あるところに、道ありき

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  • 長谷川 誠さんからのエール

    常に努力

    長谷川 誠 MAKOTO HASEGAWA

    男子バスケ

    名門・能代工業高校で1年時からインターハイ、国体、ウィンターカップに出場。3年時のインターハイではキャプテンを務め、全国制覇を果たす。日本大学で大学3冠を達成。実業団では新人王とMVPを獲得し、日本代表としてユニバーシアードで得点王に輝き、世界2位の立役者となる。31年ぶりの世界選手権出場も遂げるなど、高い得点力が魅力の司令塔として活躍した。日本にプロリーグがない中で初のプロ契約選手となり、日本人初の海外プロリーグ選手に。さらには、bjリーグ史上初のプレーイングマネジャーとなるなど、常に男子バスケットボール界の新たなポジションを切り拓いてきた。42歳で引退、指導者に転向。bjリーグ、Bリーグの初年度を秋田ノーザンハピネッツのヘッドコーチとして手腕を発揮。今年の5月秋田ノーザンハピネッツのヘッドコーチを退任し、現在は、バスケットボールの指導やメディアへの出演などで活躍中。

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    常に努力

  • 原田 裕花さんからのエール

    今を全力で!あきらめない心!

    原田 裕花 YUKA HARADA

    女子バスケ

    全日本を含め、小学校から所属した全てのチームでキャプテンを務め、国内外で活躍した。二度の膝靭帯断裂という大怪我にみまわれながらも見事復活し、日本代表では、アトランタオリンピック7位入賞の原動力となる。大会終了後、現役引退。

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  • 穂積 絵莉さんからのエール

    自分を信じる強さが最大の武器

    穂積 絵莉 ERI HOZUMI

    テニス

    1994年2月17日、神奈川県平塚市生まれ。ジュニア時代から世界のメジャートーナメントで実績を残し、プロ転向後、2013年には19歳にして全日本選手権で優勝し、その名を轟かせる。
    2014年には仁川アジア大会でシングルス・団体で銅メダルを獲得、2015年からはフェドカップ日本代表に選出され、2015年のアジアオセアニアゾーンでは単複計5戦全勝して優勝に大きく貢献するなど、日の丸を背負った大舞台で勝負強さを発揮する。
    特に、ダブルスでは2016年4月にはカトヴィツェオープン(ポーランド)でWTAツアー初優勝を遂げ、リオデジャネイロ五輪ではダブルスでベスト16に進出。
    グランドスラム(四大大会)でもダブルスで実績を積み、全米オープンベスト16、また記憶に新しい2017年全豪オープンでは日本人ペア初となるベスト4の快挙を達成し、大きな話題を呼ぶ。
    同じく2017年全豪のシングルスでは、厳しい予選を勝ち抜き初のグランドスラム本戦出場を果たし、単複共にグランドスラムの舞台で活躍する。 2020東京五輪のメダル候補として、大きな期待を集めている。

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  • 廣瀬 栄理子さんからのエール

    練習は心を強くする。

    廣瀬 栄理子 ERIKO HIROSE

    バドミントン

    青森山田高校へ「バドミントン留学」をする。
    インターハイでは高校1年時にダブルスで優勝、3年時には団体で優勝した。
    2003年に高校を卒業し三洋電機(現 パナソニック)に入社し、その年の全日本総合選手権で3位入賞。
    2004年の全日本総合選手権では初優勝を果たし、以降国内外の大会で活躍。
    2008年北京オリンピックに出場し、シングルスでベスト16入りを果たす。
    現在は、ナショナルチーム(Bチーム)コーチとして、後進の育成を行なっている。

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    練習は心を強くする。

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  • 宇津木 妙子さんからのエール

    努力は裏切らない

    宇津木 妙子 TAEKO UTSUGI

    ソフトボール

    1953年埼玉県生まれ。川島中学校1年時からソフトボールを始める。星野女子高等を経てリーグ1部のユニチカ垂井に所属し、1974年世界選手権出場。1985年に現役引退後、ジュニア日本代表コーチを経て日立高崎の監督に就任。当時3部だったチームを1部で優勝するまでのチームに育て上げた。1997年に日本代表監督に就任、2000年シドニー五輪銀メダル。2004年アテネ五輪銅メダル。2004年9月、日本代表監督退を退任。その功績が讃えられ、日本人初、指導者としてのISF(国際ソフトボール連盟)の殿堂入りを果たした。2011年には、 NPO法人ソフトボール・ドリームを設立し、オリンピックへのソフトボール競技の復活活動や競技の普及活動等に尽力している。

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    努力は裏切らない

  • 村上 恭和さんからのエール

    考え方で人生は変わる

    村上 恭和 YASUKAZU MURAKAMI

    卓球

    1957年12月9日生まれ。広島県尾道市出身。小学6年生のときに卓球に出会う。近畿大学付属福山高校から近畿大学に進み、一貫して卓球選手として活躍。
    30歳のとき、和歌山相互銀行の卓球部で現役生活を終え、ママさん卓球の指導者として独立。
    1990年、日本生命女子卓球部監督に就任。6年後に日本一になって以来、常勝チームとして君臨するチームに作り上げた。
    1996年、日本女子代表コーチに就き、北京オリンピック後の2008年10月から監督。
    2012年8月、ロンドンオリンピックにおいて日本卓球界悲願の初メダルを獲得。リオデジャネイロ五輪の監督に留任するとともに、2020年のオリンピックで金メダルを獲る戦略構想に着手。リオでは、15歳の伊藤美誠選手を積極起用し、2大会連続のメダルに導いた。

    村上 恭和さんからのエール

    考え方で人生は変わる

  • 大畑 大介さんからのエール

    為せば成る!

    大畑 大介 DAISUKE OHATA

    ラグビー

    小学校3年生からラグビーを始め、東海大仰星高校時代には高校日本代表に選出される。
    京都産業大学へ進み日本代表として活躍、1998年に神戸製鋼入社し、日本のトライゲッター、エースとして活躍し、世界にその決定力を印象づけた。
    2001年には世界への飛翔を見据えて、オーストラリアのノーザンサバーブ・クラブでプレーし、2003年にはフランス・モンフェランに入団を果たす。2003~2004年シーズンからはラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティーラーズにプロ選手として契約を交わす。その後日本代表キャプテンを務めるなどラグビー日本代表の牽引者として、W杯に2度(1999年、2003年)の出場を果たす。 さらには2度のアキレス腱断裂を経験するも「為せば成る!」の不屈の精神は健在で、代表試合トライ数世界新記録を樹立、その記録を69トライまで伸ばす。その卓越した運動能力はラグビーに留まらず、スポーツ界全体でも高い評価を受けおり、TBSテレビ系「スポーツマンNo.1決定戦」では、他のスポーツ競技の有名選手と競い2度の優勝を成し遂げている。2010年~2011年のシーズンをもって現役を引退。現在はラグビーの普及やラグビーを通じた人材育成、またラグビー協会と共に2019年に日本で開催されるラグビーW杯を成功させるべく、メディア、講演等で精力的に活動中である。
    加えて、スポーツを通じた人材育成や街づくりに関する活動にかかわりながら、特に女子ラグビーの普及にも力を注いでいる。今までになかったカテゴリーである大学生の女子を対象とした「大学女子7人制ラグビーフットボール交流大会」を自ら企画した。2016年リオ五輪から7人制ラグビーが正式に五輪種目となり、東京五輪を見据え、「女子ラグビー界の秋元康」(自称)として競技人口増加、選手強化を目指している。

    大畑 大介さんからのエール

    為せば成る!